学童野球では、息子や娘とともにチームを卒業する父親監督が圧倒的に多い。一方、この夏を自ら最後の全国采配と決めていた名将がいて、20年以上続いてきた組織の消滅を前に夢舞台で1勝を挙げたチームもある。奇しくも初出場組の、それぞれの「最後の夏」を追った。
(写真&文=大久保克哉)
―The Last Summer❶ ―
恩師に白星は贈れずも、
心に響いた8人の想い
[石川]初出場
たちの館野学童野球クラブ
【戦いの軌跡】
1回戦●2対8新家(大阪)
全国1回戦を戦い終えたナインは指揮官と一人ひとりハイタッチしてダグアウトへ
学童女子の全国大会、NPBガールズトーナメントは今夏、石川県が舞台となった。同県では2月から女子選抜チーム「輝プリンセス」のメンバーを公募。野々市市の館野学童野球クラブには、昨秋の県新人戦準Vにも貢献したマドンナ左腕の山本愛葉がいたが、3月の時点で「館野のみんなと全国(全日本学童大会)に出ることしか考えていません」と、選抜入りをきっぱりと否定した。
切なる想いを共有
その山本ら6年生8人は、新人戦の県決勝で敗れた中条ブルーインパルス(前年度優勝枠で全日本学童出場)へのリベンジの想いを募らせていた。「夏の全国大会に出て、中条に勝って優勝したい!」と語ったのは、高田慶吾主将だけではなかった。
「監督に全国でも勝利をプレゼントしたい」。チーム初安打に2回まで好投した山本だが想い叶わず、涙に暮れた
そして6月半ば、全日本学童の石川大会を制して全国切符を手中に。チームは2016年の全国スポーツ少年団軟式野球交流大会で準優勝という実績があるが、全日本学童出場は今夏が初。意気上がる選手たちだったがその後、指揮官からの突然の告白で静まり返ってしまう。
すでにスタッフ間では決定事項となっており、一部の保護者らも知るところとなっていたが、約20年のコーチを経て2016年からチームを率いてきた山本義明監督が「今年度限りの退任」を選手に発表したのだ。
「ピックリしました。良いところは褒めてくれて、悪かったらそこを教えてくださる。優しい監督です」(中村颯真捕手)
「悲しかった! これまでいろいろお世話になってきた山本監督に、みんなで全国でも勝利をプレゼントしたいと思います」(山本)
さらなる発奮材料
さらなる発奮材料を得た6年生たちは、夏休みに入ると平日は20時近くまで、合同で自主練習をするように。7月末に県内で開催された、NPBガールズトーナメント(輝プリンセスはベスト8)には誰も足を運ばなかったという。
迎えた8月初旬の東京、伝統の全国大会1回戦。相手は優勝候補の新家スターズ(大阪)だったが、1回表に二番・山本が100㎞を中前打するなど、誰も気後れしていなかった。
「相手がどこだろうと、絶対に気持ちで負けずに絶対に勝とう! とみんなで話していました」(高田主将)
守って打って、コーチボックスからも仲間をリード。153㎝45㎏の頼れる高田主将は名門私学・星稜中に進学予定という
2回までは0対0。先発の山本はコースに投げ分けるので、新家打線の鋭い当たりも野手の正面に飛ぶことが多く、1回裏には4-6-3の併殺も決めた。2回には遊撃を守る高田主将が、曲芸のような動きで3つのゴロを裁くと、一塁手の佐藤暁己が難しい送球もミットに収めて3アウトを奪った。
「守備は前回(2016年)以上ですよ」
大会前の指揮官の言葉に嘘はなかった。ところが、3回裏の守りは、与四球に始まり内野安打、野選と小さな綻びから長打や落球につながって大量6失点。「相手の打撃が良いのは知っていましけど、ちょっとのミスからこれだけ点差が開くんですから全国は怖いですね。2アウトからの4失点が特に響きました」(山本監督)
夢、叶わずとも
ビッグイニングをつくった新家は、そのまま逃げ切って初戦を突破すると、以降も勝ち抜いて優勝することに。館野もしかし、やられっ放しではなかった。4回には三番・中出泰祐の中前打を足掛かりに、五番・鈴見泰智と六番・町田丈類の連打などで2点を奪い返してみせた。
3回裏、不運や小さなミスから失点が続くと、内野陣が自分たちでタイムをとった(上)。6点を失った直後の4回表、二死一、二塁から町田が左中間へタイムリー(下)
「いつも優しくて時には厳しく。低学年のころからずっとボクたちをみてくれて、細かいことも教えてくれた山本監督のためにも勝ちたい気持ちが強かったので、悔いはたくさんあります。でも、みんなで最後まで諦めず、全力でやれたことは良かったです」(高田主将)
中条へのリベンジ、敬愛する指揮官へ捧ぐ白星。どちらも叶わぬ夢に終わった夏、6年生8人は涙に暮れたが、後者の想いはフィールド上のプレーだけでも十分に伝わっていた。
「みんなよくここまでがんばりましたし、よく成長しましたね。キャプテンにおんぶに抱っこで、彼が全部引っ張ってくれて…おかげさまで、最後の夏に良い思いをさせてもらいました」
振り返る指揮官も涙があふれていたが、試合中は一身上のことは頭になかったという。
「暑い中で懸命に戦っている子どもたちと、目の前の勝負に集中していました。やっぱり、夏が一番苦しくて、でも子どもは夏に一番成長するんですね。まだまだ弱い部分もあるんですけど、もっともっと自信をつけて秋から臨んでくれればいいかなと思っています」
就任8年で2回目の全国采配だった山本監督。「チームの継続的な繁栄と世代交代」のために自ら退任する
来年3月の松井秀喜旗大会が、山本監督のラスト采配。その後は「平日練習はお手伝いできれば」と意向を語る。自分のことより、選手の成長が第一。だから、試合中もいちいち感情的にならなかったのだろう。
「チームの繁栄には世代交代も必要」
己の地位や手柄にも固執しない。8年間で2回の全国出場、その原点には指揮官の深い無償の愛があった。
―The Last Summer❷―
チーム史23年の幕に
夢舞台で輝ける「1勝」
[秋田]初出場
よこぼり横堀マイティ・ノース
【戦いの軌跡】
1回戦〇7対6三島(静岡)
2回戦●3対13波佐見(長崎)
金農スタイル楽しんで
6年生には学童野球最後の夏。父親監督や学年監督も、同じく最後となるケースは全国舞台に限らず、どこにでもある。一方、当年限りで活動終了が決まっているチームの夏の全国出場というのは、相当なレアケースだ。
秋田県大仙市立横堀小の生徒16人が在籍する横堀マイティ・ノースは、創立23年目の今年度をもって活動に終止符を打つことが決まっていた。その上で、秋田予選を制して全日本学童大会に初出場してきた。昨秋の新チームから率いる小松宗矢監督が、こう明かす。
「今年に入ってから、新入生や1年生を募集したんですけど、なかなか思うように人が集まらなくて。残念ですが下級生(8人)たちは、来年度から隣のチームへ行くことになりました」
2回戦の2回表、中堅・草彅の本塁好返球で相手の先制点を阻む。捕手・小松仁主将
昨今は同様のチーム消滅や吸収合併が絶えない。とはいえ、その当事者が重い現実を受け止め、大会を勝ち抜いていくのは容易なことではないだろう。
小松監督は秋田の名門・金足農高のOBで、ヤクルト・石山泰稚の2学年後輩にあたる。「金農スタイルで、冬の間はかなりキツいトレーニングをしましたけど、それも楽しんでやれるように工夫しましたので、子どもらはよくがんばりましたね」
年が明けてから、チームの活動終了を聞かされることになる選手たちだが、冬場の貯金からパフォーマンスが格段にアップ。仲間同士の信頼も厚くなり、後続を信じて次へとつないでいく打線が、より多くの得点を奪うようになったという。直接に取材できたのは全国2回戦の1試合のみだったが、ミラクルの要因を垣間見ることができた。
白地主体のユニフォームの一団に、沈痛なムードはまるでなかった。何より、指揮官自身がとても楽しそうだった。開始直前の挨拶から白い歯がのぞき、好プレーで守りから戻ってきた選手や本塁打を放った選手と喜びを共有するかのように、本物の笑顔で出迎えていた。
2回戦の5回裏、小松晟のエンタイトル二塁打(上)で1点、続く6回は茂木がライトへ2ラン(下)
「やっぱりまだ小学生じゃないですか。この先も野球をやってもらいたいので、怒って強制させてじゃなく、自分たちで考えながらやる野球というのをずっとやってきました」(小松監督)
「胸さ張って、帰ろう」
指示待ちではない選手たちは、快活にプレーしていた。一度弾いた打球も、落ち着いて処理してアウトを奪う。2回二死二塁のピンチでは、センター返しを打たれたが、中堅手の草彅大翔が本塁へワンバン送球で走者をタッチアウトに。
相手は全国スポーツ少年団軟式野球交流大会で優勝の実績がある長崎の強豪。3回から怒涛の長打攻勢で一気にリードを広げられたが、ベンチ前で円陣を組む横堀ナインと指揮官の目は死んでいなかった。
5回には監督の実子・昊翔が適時二塁打で1点。6回には前日の1回戦で一時逆転の三塁打を放っていた五番・茂木奏翔が、左打席からライトの特設フェンスの向こうへ2ランを放った。
1回戦は序盤から激しいシーソーゲームを展開し、最後は四番・長澤力希人の中前打で逆転サヨナラ勝ちしていた。2回戦の10点差はさすがに埋まらず、試合後は一様に悔し涙があった。
選手主体の野球で全国2回戦まで躍進。小松監督(右端)の笑顔とベンチでの落ち着き払った言動も印象的だった
「全国制覇が新チームからの目標だったので達成できずに悔しいですけど、後輩たちには次のチームでボクたちの分までしっかり良い成績を残してほしいです。全員で全国まで来て1勝をしっかりつかみ捕ることができた、とても楽しい夏でした」
涙ながらに語った小松仁主将ら選手16人へ、指揮官はミーティングの最後にこう伝えた。
「やれることはやったと思うし、最後の最後まで諦めずにがんばったから、胸さ張って、秋田さ、帰ろう!」
―The Last Summer❸―
先行逃げ切りから脱皮
初の全国で8強入り
[栃木]初出場
やなせ簗瀬スポーツ
【戦いの軌跡】
2回戦〇8対4光友(福岡)
3回戦〇3対2大崎(宮城)
準々決●2対12不動(東京)
激戦区のお調子者集団
過去の全国出場組も多々。減ったとはいえ現在も44チームが割拠する栃木県の宇都宮市は、全国屈指の大激戦区だ。そのなかで1970年創立の簗瀬スポーツが今夏、一気に名声を高めた。
53年目にして全日本学童大会初出場を果たし、一気にベスト8まで進出。
昨秋の新人戦は、県大会初戦でサヨナラ負けしていた。「メンタルが弱くて、先行逃げ切りでしか勝てない。追いつかれたらそのまま負けちゃう」
松本裕功監督は嘆くばかりではなく、改善へ手を打ってきた。最大の持ち味である打力をさらに伸ばすべく、数カ所同時の打撃練習を敢行。数をこなすのはもちろん、球のスピードと軌道、球の大きさと重量、用いるバットなどにも変化をもたせて、冬場からの長期計画で個々のスイングの力と精度を磨いてきた。
結果、春からはビッグイニングもつくれる打線となり、ビハインドも跳ね返す粘りが生まれた。自信を得た「お調子者の集団」(同監督)は、全日本学童の栃木大会でも接戦をしぶとく制して初優勝を果たした。
全国でも強力打線の四番の大役を果たした櫻井(上)。五番・白石(下)は2回戦でサヨナラ打も
「追いつけ追い越せ、というリズムで試合をつくれるようになりました。メンタル面が一番成長したんじゃないですかね」
指揮官の言葉を裏付けるように、迎えた全国でも2試合連続で逆転勝利した。初戦(2回戦)は逆転、同点、勝ち越しというシーソーゲームのなかで櫻井凱晟が4安打3打点と四番の大役を果たした。続く3回戦は三番・半田蒼真主将が1回裏に2点二塁打で逆転、6回に2対2に追いつかれるもその裏、五番・白石晴琉がレフトへサヨナラ打と、日替わりでヒーローが生まれた。
準々決勝は、後半に相手打線が爆発して大敗したものの、一番の郡司啓が反撃の適時二塁打など2安打と気を吐いた。
初めての労い、そして別れ
初出場で8強という成績に、松本監督は「大満足ですね。負けたのは監督の責任」との第一声からこう続けた。
「ウチは特別なスーパースターがいるわけでもないし、決して強いチームじゃない。でも、全国大会というのは行けないレベルじゃないし、指導陣もそこに目標を持ってやっていけば結果も出るというのがわかりました。地に足がついた戦いができるようになりましたので、そこはこれからの指導者に引き継いでもらいたいですね」
準々決勝の3回、三番・半田主将が逆方向へゴロを打って1点を返す
一番のお調子者とも言えた郡司は「全国は投手の球のスピードもコントロールも、バッティングも段違いでした」と、敗退直後は放心したようだったが、バッテリーを組む半田主将は早くも目標を切り替えていた。
「守備はあんまりだけど、バッティングのチームでここまで来れたのは良かったです。全国はみんな強いところばかりだったけど、同じ小学生なので、もっとがんばりたい。夏の県大会で勝って終わりたいです」
エース左腕の郡司は手足の使い方など、身体能力と将来性の高さも感じさせた
6年生8人は9月10日、125チーム参加の巨大トーナメント、第54回県学童軟式野球大会の準優勝をもって引退した。
決勝は松本監督の実子・昴の2ランなど5連打で1回表に3点を先取し、一気にひっくり返された直後の2回には郡司のタイムリーなどで同点に。序盤は得意となったパターンに持ち込んだものの、以降は相手打線の猛威にさらされて6対13で敗れた。
国学院栃木高、国学院大OBの松本監督。目的と計画に則った効率的な練習を手掛け、人としての手本でもあったが残念ながら、学童野球とは9月10日をもってお別れ
「お調子者を調子に乗らせる術が身についてきた」と全国大会で話していた指揮官は、フェアプレー精神など模範的な言動も多々。6年生の多くは2年生から入団してきて、こなしてきた練習の量と質は従来の比ではなかったが、あえて褒めずにきたという。
松本監督も予定通り、9月10日で息子ら6年生たちとともにチームを去ることに。頑張り屋のお調子者たちを最後に初めて労うと、お礼の言葉と涙が自然に出てきたという。
「ホントによくがんばったね…全国まで連れてきてくれて、ありがとう!」